( いのち ) 

 

 命を考える時、命の全体を思うよりも具体的な一つの命を思うほうが良いように思われます。例へば広島で被爆し生きたいと願って折鶴に祈った少女の佐々木禎子さんの気持ちを思うことの方が命が大切ですと百万遍云うよりも遥かに心に沁みると思います。

 逆なようですが地球を愛するという気持ちも実感を持って考えることも大切なように思います。  

 命は肉体だけで存在しているのではなくて精神と相まって生きていると実感しています。本人がもういいと思はない限りは死ぬことは出来ませんし、逆に生きたいと思えばある程度は生きることが出来ます。肉体にも限界があって精神がいくら生きようと願っても限界を超えると生き続けることは出来ません。

 天才の”いのち”と認知症患者の”いのち”に存在としての”いのち”の価値については差別はないのだと思います。人間の”いのち”と他の動物の”いのち”とではニューアンスが違うように思います。